2.江戸時代の走り方について

(3)「神足歩行術」にある江戸時代の走り方

神足歩行術

江戸末期、京都・岡崎の矢野守助を師とする「神足歩行術」という走り方があり、
これについては、その走り方および練習法についての記録がいくつか残っています。

1.射和文化史にある神足歩行術[13]

伊勢・松坂の射和地方に残る歴史資料「射和文化史」の中に、
伊勢の豪商で勝海舟の師でもある竹川竹斉による
「神足歩行術」についての記録が残っています。

竹斉は32歳の頃に矢野守助より神足歩行術を伝授され、
その後多くの方にこの歩行術を伝授したようです。

(1)臍納め(へそおさめ)の事

 万芸の基本。
 気を丹田に集め、首筋や腹や足の先までの凝りを解くことが、この術の基本原則。

(2)ゆるみの事

   ①大ゆるみ・・・腰の間をゆるめる
   ②小きざみ・・・股や膝をゆるめる
   ③車さばき・・・足の先をゆるめる
    *ゆるめるとは、力を抜き凝りを解くの意*

(3)歩き方(歩き始め)

 最初の一里(4km)はゆるゆると歩み、
 気が丹田に落ち着き、体中の凝りが解けて足が軽くなってから速歩に移る。

(4)腰千鳥、千鳥車

   ①腰千鳥・・・腰の回転を滑にすること
   ②千鳥車・・・脚の運転を滑らかにすること

(5)歩き方(様々な場所での歩き方)

 ・砂道は脚を上げて歩く。腹と腰とで歩く気持ち
 ・向かい風には小刻みに
  追い風には腰の力を抜いて腹の力で歩行する。
 ・雨中、雨後のぬかるみ道は腰の力で歩くこと。

(6)山地と平地

 ・山登りの時は足先三尺(約90cm)を見つめて歩く。遠くや左右を見るのは禁物。
 ・平地も同様で小腰小きざみに歩く事。

(7)洗足・食事・掛け声

 ・宿について洗足する場合水を用いること。
 ・入浴は必ずぬるい湯を用い、熱い湯は大禁物。
 ・食事は満腹を避けること。
 ・掛け声 サササザザザ、オイトショ、登り道の時はマダマダ
      これ以外の掛け声は一切相成らず

(8)懐中秘薬

  (秘薬の内容は省略)特製の丸薬を
  寒中には五六里(20~24km)毎に5粒、暑中には七八里(28~32km)毎に5粒服用。

竹川竹斉によると、
丹田に気を満たしめ、
一身の内、気の滞りなからしめて
肩背より足先まで、凝ったところは身体を動練して之を解くから、
日々20里30里(80km~120km)走っても疲れないし、
道を急いでも息が切れることは無いのだそうです。

この竹斉の弟子は、当時名簿にあるだけでも28人いたそうです。

2.名古屋叢書にある神足歩行術[14]

名古屋文化の歴史を記録した「名古屋叢書」に、近江の伊藤保住が矢野守輔より
壬子(嘉永五年 1852年)12月に教えを受けた内容が、残っています。
(教えには真と草があり、ここでは草の方を教えてもらっています。)

守輔が短冊に内容を記して与えたものによると、
・・・・・

草 路ちどり 腰歩(こしあゆみ) 片足休山坂平地
  帯下(なす) 千鳥車 腹歩 無かふ風
  追風舞

初一日は 路ちどりを学ぶ 終日一室を歩行する也。心法あり 秘なり
第ニ日は 千鳥車を学ぶ
第五日  片足休迄修し得たり

この余は 来春可伝というと云

これ草の法也 真の法は一術に十日以上かかる也

・・・・・
ということで、草は教えてもらえましたが、
真はこの時は教えてもらえなかったようです。

江戸時代の歩き方の推定をもとに、神足歩行術に記載されるそれぞれの走り方を推定してみました。
こちらのページもご参照ください。

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参考文献

[13]伊勢射和村「射和文化史」p51-54(竹斎と神足歩行術の章より)昭和30年刊 国会図書館蔵
[14]岩倉規夫「古書巡礼⑨ 神足歩行術」 雑誌「統計」1981年12月号p32-34 国会図書館蔵