2.江戸時代の走り方について

(2)「千里善走法」にある江戸時代の走り方

千里善走法

江戸時代中頃の明和8年(1771年)岡伯敬が、
師匠である不及先生より学んだ「千里善走法」という速歩術を記録に残しています。[12]

それによると、歩き方(走り方)には「真」「行」「草」の3種類があり、
また上り坂、下り坂それぞれの歩き方、長距離を歩くための七体の法があり、
これをマスターすると一日四十里(160km)は普通に歩けるようになるそうです。

注:千里善走法では、歩くことと走ることは「歩驟(ほしゅう)」という一つの言葉で表現されています。
もしかしたら当時は、歩くことと走ることは区別されていなかったのかもしれません。
そのため便宜上、ここでは「歩き方」に統一します。

一 三つ足運歩之法

三つの歩き方
①真の足取り  左右の足を五分五分に運歩する
②行の足取り  左右の足を四分六分に運歩する
③草の足取り  (江戸時代の)普通に歩く歩き方

この3つの歩き方が出来ると、疲れないで歩けるそうです。

二 肩衣袴穿之節運歩之法
(かたきぬはかまちゃくのせつうんふのほう)

裃(かみしも)を着ているときは、
左の足を先に、六歩出して、右足を四歩出すと歩きやすい。
他人が見ても分からないように歩く事。

三 上坂運歩之法

上り坂を歩くときは
・階段や、丸太で段が作ってあれば、そこを歩く。
 階段が無ければ、人が踏みならしたところを歩く。
・歩き方は最初は行の歩き方。
 最初の十間(18メートル)は右六・左四の行の歩き方で、
 次の十間は右四・左六の行の歩き方、
 次の十間は背筋をしっかり伸ばした真の歩行で歩く。
 これを十間ごとに切り替えて歩く。
・大股ではいかない

この通りに歩けば、足がだるくなることがない。

四 下坂運歩之法

・下り坂は、基本は上り坂と同じだが、全体的に腰を意識して足を軽く小股で歩く。
・凸凹の少ないところを歩く。兎の穴など踏まないように。
・両手を上げるようにして肩を使って(肩を揺り動かして)十間くらい歩く。
  →肩と腰を据えて十間くらい歩く
   →手を振って十間くらい歩く、という風に順番に意識を変えて歩く。
・下り坂は腰を据えて歩くことが大切

五 平地運歩之法

・平地では真、行(6/4、4/6)、草の歩き方を一町(109メートル)ごとに変えて歩く
・行の四歩の足は、その足を休ませるつもりで歩く。
・長距離でも勝手に速く行けるので、途中の茶店で休まなくても大丈夫。
寄り道はしないように。

六 時切迅足運歩之法(とききりはやあしうんふのほう)

 例えば京都・東三条から石清水までの五里(20キロメートル)を歩いて、八幡宮に参拝するなら、
京都を朝六つ(朝六時)に出てその日の四つ時(朝十時)に帰る想定で支度をする。
・いつもよりご飯を多めに、
余分に進んでも大丈夫だけどお腹が窮屈にならない位食べる。
・荷物は必要最小限
・握り飯2個と梅干三枚ほど持っていく。
・握り飯を自分の臍の上に当て置いて、
体中の気を臍下に集中して歩けば、五百歩千歩歩いても飢えを感じない。
・のどが乾いたら、梅干を食べると渇きが止まる。
・真、行の歩き方で
・自分の臍下丹田に気を置いて、慌てず
・最初の二、三町(2~300メートル)は歩いて
 そこから徐々に三法(真・行・草)の歩き方で
 十町~十四五町(1~1.5キロメートル)も歩く。
・三法を変えながら、一里より二里、二里より三里は早く、と徐々に速度を上げていく。
 目的地が近づくほど速くなる。
・この歩き方なら、卯の刻(朝六時)に出て、巳の刻(朝十時)には帰れます。

往復40キロメートルを4時間で参拝して帰ってこられるということは、
平均時速10キロ強、といったところでしょうか。
徐々に速度を上げながら、フルマラソン4時間弱の速さで行き来する計算になります。

七 七体之法

特に大切な秘訣。これを極めると本当に速くなる。

  七体 ①頭をもって歩く。頭上に心を置き頭を前に進めることを意識して歩く
     ②胸で歩く。 頭を控えて胸を前に突き出すつもりで歩く
     ③真の歩き方。腰を据えて歩く
     ④行 右の六歩
     ⑤行 左の六歩
     ⑥右の手を用いる 右手を振って手を用いて歩く
     ⑦左の手を用いる 左手を同じように繰り返し振る

大いに効果があるけれど、文章では伝えるのが難しく
口伝でなければ上手く伝えられません。

筆者の上手く記述できないもどかしさがあるようです。

八 千里飛翼之法

ここまでに伝えた方法を使えば、一日十里歩く人は二十里、二十里歩く人は三十里、
健康な人なら一日に四十里歩くことが出来ます。

・試しに、京都から伊勢の三十六里(144キロメートル)を一日で行こうとしたら、
・自分の好みでご飯を炊いて、少し柔らかめに焼き干し、握り飯にして臍の上に当てます。
 梅干十枚を用意します。
・臍周り、気海(臍下丹田)に全身の気を集めます。
・朝七つ(午前四時)に京都を出て、
 徐々に二三町(2~300メートル)も歩いてから、七体の法を用います。

京都から大津まで(11キロメートル)はゆっくり頭で歩いて、
大津から草津まで(15キロメートル)は胸で歩きます。
そこから右六歩で宿場一駅(概ね10キロメートル)、
左で一駅、右手で一駅、左手で一駅と、順番に歩き方を変えていくと、
自然と早く歩けます。こんな感じで足も疲れることなく歩くことが出来ます。

秘訣のあらましはこんな感じですが、詳しくは師匠に聞いてください。
長年秘密にしていましたが、世の人のお役に立ってほしいと思います。

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朝七つ(午前四時)に出て、暮れ六つ(午後六時)に到着するとしたら、
144キロメートルを14時間、平均時速10キロ超で走る計算になります。
荷物を持ってこの速さですから、かなりのハイスピードです。

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以上が千里善走法のあらましです。
普通なら口伝でしか伝えられない技法を書き残していただいた、大変貴重な記録だと思います。

私たちは、前提となる「当時の普通の歩き方」を知らないので、
どうしても推測に頼るしかないのですが、
「気を丹田に集め、少しづつスピードを上げながら、走り方を少しづつ変えていくと、
長距離を走っても疲れにくい。」というのが、重要なのではないかと思います。

長距離を走りきるには、メンタルが一番の課題、と聞いたことがあります。[15]

その意味においても、七体などで身体の負担を分散させながら
目先を変えることで長距離を走り切りやすくしているものと思われます。

江戸時代の走り方の推定をもとに、千里善走法に記載されるそれぞれの走り方を推定してみました。
こちらのページもご参照ください。

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参考文献

[12]早川純三郎編「雑芸叢書第二」p415-420「不及先生 千里善走伝」より
 図書刊行会 大正4年刊(国会図書館デジタルコレクションより)

[15]例えば下記ホームページ
「マラソンを完走するためには心も重要!メンタルトレーニングの仕方徹底解剖!!」

https://up-run.jp/columns/columns8/